21.

 
光代は一也の毎朝のおむつ替えが辛くなってきた。ミルクだけしか飲まない乳幼児ならウンチの匂いも苦にならないが、ミルクを飲んでいるとはいえ普通の食事をする一也のウンチはやはり臭う。
「トイレに行けないのかい」
光代は優しく問うが一也の答えはいつも同じだった。光代は布おむつ洗濯も辛かった。普段の洋服と下着とは別におむつを洗う必要があったし、干すのも外に干すのは避けた。今どき大きな布おむつを外に干すことなど恥ずかしくてできなかった。太陽の光で乾かしたいがそれはできないので乾燥機でホカホカにするしかなかった。
「綾目さんは少しよくなったかしらね」
綾目が母乳授乳を始めてから1週間後にすみれは一也に質問した。一也と綾目はよくLINEでトークしているからだ。
「少し、よくなったみたいだよ」
「どんな風に?」
「哺乳瓶からのミルクがおいしく感じないようになってきて、お漏らしが少し減ったって」
「1週間で効果が出てきたという事かしら」
「そんな感じかな」
 
2週間後、光代は一也と共に樹賀の家に居た。恵子が1週間毎にすみれと綾目の様子を見に来るのに同席させてもらうためだ。本当に実の母親の母乳を飲むことの効果を自分の目と耳で確認したかった。それに比べて一也の赤ちゃんぶりは何の変化もない。薬も生活指導もトレーニングも全く効果がなかった。
「3日目位から哺乳瓶からのミルクを嫌がるようになりました。それでも飲ませた後に母乳授乳をしていました。それに1回だけお漏らしせずにトイレに行けたんです。今は1週間に2回に増えたと思います」
「順調ですね。でも手を抜いてはいけませんよ。同じペースで授乳してくださいね」
恵子とすみれの話を聞いていた光代は一也への母乳授乳を始めようかと思っていた。その前に疑問に思っていた事を質問した。
「あの、桜間さん、未来で一也へ母乳授乳をしていただいていると聞いています。その効果はないのでしょうか」
「この前説明したように遺伝子の関係で実の母親からの母乳が一番効果があります。その他に同じ人から母乳を与え続けるということも効果があるという事例もありました。同じ人から与え続けられることで実の母親に近い環境になりますからね。同じ人からですと母乳の味、匂い、授乳の仕方、雰囲気などが毎回同じになりますから赤ちゃんも安心するのです。毎回授乳する人が代わると赤ちゃんも落ちつかないのです」
「あの、未来で一也に授乳をしていただいていると聞いていますが、同じ人からでしょうか?」
光代は未来で同じ人からの授乳を期待してしまうが、それは無理な事であった。
「そうしたいのも山々ですが、母乳授乳できる保育士さんの人数が少ないのです。それに保育士さんのローテーションもあり残念ですが難しいのです」
赤ちゃんの一也の世話に疲れてきた光代はがっかりしてしまう。やはり自分が一也に授乳するしかないのだろうか。
「お母様、一也さんは実のお子さんですからお母様が授乳するのが一番早くて正確な方法ですよ」
一也は高校3年の男性だ。いくら息子とはいえ、男性に母乳を授乳することに光代は抵抗を感じていた。未来ではいろいろな人に授乳されてお世話になっている。その成果を期待したいが、それは難しいらしい。
「お気持ちは分ります。一也ちゃんは高校3年の男性ですものね。恥ずかしいこともよく分りますが、一也ちゃんは赤ちゃんなのだと思いこんで授乳されればできると思いますよ」
「そうするしかないのですね」
「それが一番早くて正確な方法です」
「今からですと年内には直りますでしょうか」
「保障は出来かねますが、余裕のある期間だと思います」
「一也、どう思う?」
「母さん、そりゃ照れ臭いよ。でも恥ずかしくないよ。未来ではいろんな人から飲ましてもらっているから」
光代は一也に母乳を与えるなら自分だけからにしてほしいと思い始めた。未来の世界を見る事は出来なくても一也が知らない女性のおっぱいを吸うのは止めて欲しかった。
「桜間さん、分りました。私が授乳します。ですけどその代わりに未来で一也に授乳するのを止めてもらう訳にはいきませんでしょうか」
「申し訳ありませんが、それはできません。お母様の授乳の仕方しだいでそういう風にさせていただくことはありますが、まだ始まっていないのですから。お母様の母乳授乳がきちんとできて成果が出てきたら検討させていただきますが、それまでは今まで通りです」
光代は自分で授乳することを決めた。効果が出るまでの我慢と思えばいいのだ。
「桜間さん、私やってみますので教えてください」
「一也さんを本当の生まれての赤ちゃんとして愛情を持って1日3回授乳できますか」
「やってみます。いえ、やります」
恵子は一也を見つめながら厳しい顔つきで質問してきた。
「一也さんもお母様の母乳を赤ちゃんのように飲めますか」
「照れ臭いけどね。でもその前に未来の飛行場を見せてもらう約束がまだなんですけど」
「そうね、それはお約束よね。確認しておきます」
「それと、もうひとつお願いがあるんですけど」
「我儘な赤ちゃんですね」
「桜間さんは未来からここへタイムトラベルしているんですよね」
「そうですよ」
「それはどんな乗り物なのかな?」
「あなたの赤ちゃん返りが直ったらお祝いに見せてあげますよ」
「本当ですか」
「本当ですよ。ですからいい赤ちゃんになりきって母乳を一杯飲むのですよ」
「はい、分りました」
一也にはもう赤ちゃんでいることの照れくささや恥ずかしさはなかった。早く母親の母乳が飲みたくなっていた。
 
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