22.
 
クリスマスが終わった年末に綾目の父親が海外赴任から帰ってきた。父親のお土産は綾目が好きなドライフルーツだ。暖かな国、ベトナムの有名なお土産だ。
すみれは父親へ綾目のお漏らしが直ったという報告をした。既に電話では連絡していたが、元気な綾目の姿を見た父親は喜んだ。
一方、父親はすみれにだけ大事な話があった。綾目に余計な心配をさせたくない。日本のお風呂に浸かりビールを飲み、刺身を食べて日本を取り戻したとき、父親はすみれに話し始めた。
「すみれ、綾目はもう部屋に行ったか?」
「ええ、もう大きくなったから仕方ないわね」
「大事な話があるんだ」
「どうしたの。改まって」
「約1カ月前に早期退職の勧告があったんだ。50歳を超えているので仕方ないと思う。給料が下がった嘱託での継続や日本で新たに仕事を見つけるなどいろいろ悩んできた。綾目も来年は結婚して母親になる。父親の役目もひとつこなしたと思うとほっとするんだ。そこで今後のことだが」
父親はそこですみれの顔をじっと見た。すみれは何を言われようと大丈夫よ、と言わんばかりに平然と落ち着いている。父親は再び話し始めた。
「赴任先で1カ月悩んだ結論は早期退職を受けようと思う。もう海外での一人暮らし十分だ。もちろん、給料が安くても働き続ける。綾目の孫におもちゃを買ってあげる平凡な爺ちゃんの暮らしがしたいんだ」
「いいわよ。そうしましょ」
1カ月悩んだ父親が出した結論をすみれは素直に受け入れた。娘は来年、結婚して赤ちゃんができるのだから、もうアクセク働かなくてもいいと言いたかったし、父親がそばにいてくれる安心が欲しかった。
 
年が明けた正月の3日。森君親子が挨拶にやってきた。昼食の準備に忙しいすみれは父親に部屋に居る綾目に手伝うように言ってもらうよう依頼した。何年かぶりに綾目の部屋にノックした。
「父さんだ」
「どうぞ」
「すみれが食事の準備を手伝ってほしいと言っている。手伝ってあげなさい」
「あら、もうそんな時間?、うん、手伝ってくるよ」
綾目は素直に大事な人たちの食事の準備の手伝いに行った。父親はふと部屋の隅を見ると見なれない物が目に入った。
「これは何だろう」
それは綾目が去年まで当てていたのだろう布おむつ、カバーにベビー服や哺乳瓶などだった。綾目がお漏らしをしていたことは母親から聞いていたが、布おむつとは思っていなかった。洗濯してきれいにしてある布おむつが綾目の粗相を支えていたのだろうと思うとその白い布に感謝したくなる。それに可愛いおむつカバーだ。大人用のおむつカバーは大きいが、その可愛らしいキャラクターや色使いが目に残る。思わず手に取って広げてみると股にヒラヒラまで付いていて女性用下着にも見えた。これで布おむつを包みホックで留め紐で腰にしっかり付けるとさぞかし可愛かっただろうに。思わずズボンの上から当ててみる。これがおむつカバーだと思うと何か変な気分になった。それにミニスカート付きのロンパースも可愛い事この上ない。ミニスカートを捲るとおむつカバーを隠す部分まで直に丸見えだ。哺乳瓶もおしゃぶりも何か懐かしい気がする。父親にはその光景が目から離れないでじっと見つめてしまう。だが、イケない、イケないと我に返るとおむつカバーもロンパースも元の通りに畳んで父親は綾目の部屋を後にした。
森君親子が昼食時に来た。父親は初対面の挨拶をすると一人でビールを飲み始めた。酒を飲めるのは現時点では父親一人だ。
「これから3月には高校卒業、4月は大学入学式、それが終わったら5月には臨月の姿で結婚式だ。6月には赤ちゃんが生まれる。綾目は大学の入学手続きが済んだら少し休学しなさい。その間に赤ちゃんを産んで少し大きくなったら大学へ通いなさい。俺もここでいろいろ手伝うから」
「え、父さん、それどういう意味?」
「もう海外赴任は止めた。会社は早期退職だ」
「あなた、森さんも居ることだし」
「いやいいんだ。一也君、君はこれから娘の婿になる人だし、それにそのお母様だ。隠し事はしない」
ビールを飲み始めて間もないのにお酒の力を借りて、父親は洗いざらい話してしまいそうな勢いだ。
「綾目、父さんといろいろ話あって決めたのよ。父さんが近くに居た方が安心だし」
「そうか、いいよ。爺ちゃんにも孫の面倒を見てもらって私は働けるし」
綾目も安心して父親の一大決心を受け入れた。今後の楽しい予定話をしながら食が進んだ。父親はさらに酒を楽しんだ。ビールから日本酒に替えていた。もう飲み過ぎよという言葉をいつも振り切って久しぶりの楽しい食事をした。
「すみれ、ちょっと飲み過ぎたかな?」
「だからあれほど言ったのに。大丈夫?」
「大丈夫ですよ。森君、悪いが少し昼寝をしてくる。少し寝れば元通りになるさ。ゆっくりしていってください」
父親はすみれに付き添われて寝室に向かうと畳みに横になった。
「あなた、今、蒲団を敷きますから、それからパジャマに着替えないと」
「いいから」
「仕方ないわね」
すみれは敷布団を敷くとやっとの思いで父親を布団に寝かした。そこまでは父親も意識があった。光代がタオルケットを父親にかけると、安心したのか父親はすぐに寝いってしまった。
「お父様は長い海外生活でお疲れになっているのですね」
「毎年の事よ。そうしてまた海外に行ってしまう繰り返しだったけど、今年からは父さんが居るんだね」
「そうだね、今年からはここに居るよ」
「あら、もうこんな時間。もうそろそろ失礼します」
「まだ、いいじゃないですか。そろそろ3時ですし、お茶を飲みましょう」
「いえ、親子水入らずの時間を大切にしてください。では失礼しますね」
「そうですか」
「では、御馳走様でした。お父様によろしくお伝えください。では失礼します」
 
森君親子が帰宅した3時のお茶の時間にすみれは父親を起こしに行った。父親は普段着のままでタオルケットをお腹にかけてまだ寝ている。
「あなた、起きて、森さんたちは帰りましたよ。あまり寝過ぎると夜眠れないわよ」
返事がないので、肩を叩こうとして父親に近づいた。すみれはそこで敷き布団が濡れているのに気付いた。
「え、あなた、まさかオネショ?ねえ、しっかりしてよ」
すみれは父親の肩をゆすって起こした。父親は下半身が濡れているのに気付いた。
「え、なに、これ?濡れているよ」
「もう、あなた50歳よ。オネショなんて信じられない。早く起きて、布団をきれいにしますから」
父親は起き上がると濡れたズボンを脱いだ。下着もおしっこでびしょびしょだ。
「あなた、お風呂場で洗って来てください。寝たきり老人のお漏らしにはまだ早すぎるわよ」
綾目は様子を見に両親の寝室に向かっていた。そこで、すみれの信じられないこの話声を聞いてしまった。そのまま寝室の手前で立ちすくんだ。
父親がオネショをして母親から怒られる声を聞いた綾目は悩んだ。
「今度はお父さんなのかな。まさかね。お酒の飲み過ぎだよね。でも、もし父さんが赤ちゃん返りだったらどうしよう。お父さんの赤ちゃん返りを直すにはどうすればいいの。父さんの実の母親、つまり私のおばあちゃんは死んでもういないよ。いない人の母乳を飲むことはできないよ。桜間さん、どうしたらいいの。今度は父さんが赤ちゃん返りみたいだよ」
 

終わり 

inserted by FC2 system