思わぬ許し

(ねえ、どうしておむつを当ててはいけないの)

芥川秀一


その夜、夫の和也と3人で夕食をいつものようにしていた。加代子は後で2人きりで良夫が話したおむつのことを和也に相談しようと思っていたが、良夫からのほうが早かった。夕食後、良夫が和也にまた、質問を始めた。
「パパ、よっちゃんもおむつをあててもいいよね」
「どうして、赤ちゃんに戻っちゃうよ」
「赤ちゃんじゃないけど、おむつを当ててもいいでしょ」
加代子はまた良夫のおむつ病が始まったと閉口してしまう。和也は平気な顔をして晩酌の続きをしようとしている。
「良夫はもうおむつは卒業して、おトイレに行けるのだからおむつはいらないでしょ」
「どうして、おトイレに行けるとおむつは要らないの」
「おしっこはオトイレでできるからおむつは要らないでしょ」
「ふーん」
良夫は理屈をわかっていた。でも、赤ちゃんのミナのようにおむつを当ててもらいやさしくしてほしかった。そして母親の母乳や、哺乳瓶のミルクもミナと同じように飲まして欲しかった。でもその気持ちを素直には言うことが出来なかった。それはママを美奈に盗られてしまった気持ちである。良夫はなんとかしようとしてしばらく考えていた。
「よっちゃん、分かったわね。もう赤ちゃんじゃないから、おむつも要らないし、ミルクも要らないの。ミナは赤ちゃんだから仕方ないのよ」
その母親の言葉に反論するかのように良夫が話し始める。それは今までの良夫の観察力が鋭いことを証明するようにそして、大人の世界を知らない良夫には当然の反撃だった。大人というか親にとっては、子供にもっとも説明しにくいことだ。良夫はそういう大人の世界は分からないから素直に聞き始める。しかしそれは親にとっては触れられたくない事柄だ。
「でも、ママもおむつ当てているんでしょ。ミナのおむつより小さかったけど」
「それどういう意味?」
良夫はママがトイレに入った後、偶然に紙のナプキンが置いてあるのを見てしまっていた。少し封が空いていたので中を取り出し、ミナの紙おむつと同じように水分が吸収される紙であることを良夫は理解できていた。ママもおむつをしているという真実で何日も黙っていた。
「やだ、あれは違うのよ」
「どう違うの、水分を吸収するようにできている紙おむつだったよ」
「違うのよ」
加代子は説明にならないことは分かっていたが、ごまかすしかないと思いながらも下を向いてしまった。良夫はそれ以上何の答えも帰ってきそうもないと判断すると次の説得に出た。
「おじいちゃんは、布のおむつをしていたでしょ。風呂上りにはおむつ1枚で風呂から上がってきたでしょう」
「良夫、あれは褌って言うんだよ。良夫のパンツみたいなものさ」
「あれはパンツじゃないよ。布のおむつだよ。それに昼間は紙おむつをしていたでしょ」
「あれは、おじいちゃんが病気でおしっこが漏れちゃうからパンツ式のおむつを当てていたんだよ」
「ね、おじいちゃんもママもおむつ当てているでしょ。どうしてよっちゃんは当ててはいけないの」
加代子は相変わらず下を向いたまま黙っている。生理用のナプキンを確かにトイレにそのまま置き忘れたこともあったように思う。そのことを和也から叱られると思うと黙ってしまう。和也は良夫になんと言って説明すればいいのか迷っていた。良夫がそこまで親の行動や洋服を観察しているとは思っていなかった。和也も悩みながら黙ってしまうと良夫の次の説得が始まる。今度は父親の和也に対するものだった。
「ミルクやおっぱいは赤ちゃんの飲むものだよね」
「そうだよ、ミナはまだ、ご飯が食べれないからね」
「でもね、パパもママのおっぱいを飲んでいるでしょ」
「えー」
良夫は夜中にオシッコで目を覚ましたときに和也が加代子のおっぱいを吸っているのを見てしまっていた。そのときはトイレに行きたいとも言えずに、どうしてパパはおっぱいを飲むのかが分からないでいた。それまで布団の端にはミナが寝ていたが、親子3人で丁度川の字で寝ていたのだった。良夫用の部屋も用意はしてあったが、一人では寝れないという良夫の希望で一緒の部屋に寝ていたのだった。
和也も加代子も良夫がぐっすり寝ているものとして夜の生活を楽しんでいたが、まさか見られていると夢にも思わなかった。二人はどうしたものかと顔を見合わせていた。
「それにパパは、ミルクだぞって、ママに言って飲ませのたのでしょう」
「そんなことないよ」
「よっちゃんは見ていたよ。ママ、オチンチンからはミルクは出ないよね、おちんちんはおしっこが出るところだから汚いよ。ママ」
和也も加代子も声が出ない。和也が加代子のおっぱいを吸ったことだけではなく、フェラチオの現場も見られたのかと思うと、何と説明していいか分からない。
「ママ、オチンチンは美味しいの」
「やだ」
加代子は恥ずかしがって下を向いたままだ。
「良夫、それは夢を見たんだね」
「そんなことないよ。オシッコに連れて行ってくれそうもないから、はっきり覚えているよ。でもそのうち眠ってしまったけど」
「良夫、じゃそれは夢だよ」
「違うよ。夢じゃないよ。それにママもおむつあてているし、おじいちゃんもあてていたし、パパはおっぱいを飲んでいるし。でもよっちゃんはおむつを当ててはいけないの。それはずるいよ」
和也も加代子も根負けしてしまった。これ以上、そういう夜の生活のことには触れられたくなかった。良夫はまだ幼稚園生だ。おむつをしている幼稚園生がいても珍しくはない。ここは良夫の言うことを聞いてあげることにした。しかし、その夜からは、良夫だけは自分の部屋で寝ることを約束させられていた。
 

 大人の赤ちゃん返り
inserted by FC2 system