初めての
(ねえ、どうしておむつを当ててはいけないの)

芥川 秀一

加代子は次の日もいつものように良夫を幼稚園に送り出し、昨日のことは忘れてしまったと思いたかった。しかし、良夫が幼稚園から帰ってくるとまた始まったのだった。いつものように幼稚園の制服を脱ぎ、普段着に着替えさそうと思うと、良夫はパンツも脱いでしまっていた。
「ママ、約束だからおむつあてて」
加代子は昨日仕方なく、許しを出さざるを得なかった状況を思い出し、仕方なく良夫の言うなりになるが、おむつはミナの赤ちゃん用サイズの紙おむつしかない。これではザイズが合わないのはわかっていた。
「よっちゃん、紙おむつはミナちゃん用の赤ちゃん用サイズしかないわ」
「それでいいよ」
「でも、小さくて入らないわよ」
「じゃ、大きいのを買って。それとも、おじいちゃんみたいに布おむつがいいかな」
良夫はおじいちゃんの褌のことを相変わらず布おむつと言う。加代子は祖父の褌姿だけは嫌だったが、祖父が亡くなりほっとしたのもつかの間で、良夫にこういう影響が出ていたとは思ってもいなかった。
「夕飯の買い物のときにね。だから早くパンツを穿きなさい」
「はーい」
良夫は素直にパンツを穿き、ガンダムの人形で遊び始めた。良夫がガンダムに声をかけると、良夫はガンダムになりきって返事をする。そういう無邪気な良夫の姿を見ていると加代子はどうして、良夫がこんな風になってしまったのかの自己嫌悪に陥ってしまう。祖父の褌姿も影響があったのだろうが自分のナプキンを小さなおむつと思われたのには自分の責任もある。そう考えるとますます自己嫌悪になる。
それでも一時的な良夫の気持ちの変化なのだろう、そう思うことにして良夫に接するしかないと自分を説得する加代子だった。
「良夫、そろそろお使いに行こうか」
「はーい」
良夫は玄関に行くと、玄関の端に置いてある乳母車を玄関の外に出す。玄関から出てきた加代子は美奈を乳母車に乗せるといつも同じように歩いて3分ほどのスーパで買い物に行く。
「よっちゃん、今日はカレーライスにしようか」
「うんそうだね」
「じゃお肉とジャガイモ、にんじんでしょ」
加代子はカレーの材料を一通り購入した。良夫はまだ黙ってついてくる。加代子はこのまま家に帰ってしまいたいと思うが、良夫とのおむつを買う約束も覚えている。ただ、自分から言いにくい。
「ママ、今度はおむつだね」
「はいはい」
加代子は良夫の機嫌を損ねない程度の嫌な返事をした。幼稚園生のおむつを買うのには気が引ける。
「ママ、布おむつがここにあるよ」
ベビー用品売り場にやってきて、良夫は布おむつとおむつカバーを見つけると、手にとってしげしげと見ている。
「よっちゃん、これは赤ちゃん用でサイズが合わないわ。紙おむつにしましょう」
一通り布おむつを見てみたが、年中さんの良夫に合うサイズの布おむつは売っていない。陳列されているものはすべて乳幼児用の小さなサイズである。良夫のためよりも、日ごろ紙おむつをあてている美奈のために布おむつを買ってあげようかと思うが、良夫は加代子のその声に反射したように紙おむつ売り場の方に歩いていってしまう。
「よっちゃん、待って」
加代子は美奈が寝ている乳母車を押して良夫の後を追う。
「ママ、これがいい」
良夫が手にした紙おむつはクマさんの漫画が入ったかわいらしい紙おむつだった。全体的に赤の色が強調されているパックを選ぶ良夫の心理にも疑問が湧いたが、絵柄で選んだのだろうか、かわいい、かわいいと連発している。
「それは女の子用よ」
「へ、そうなの。男の子用と女の子用はどこが違うの?」
「よっちゃん、おしっこの出る場所が違うのよ」
「ふーん」
「だからこれにしようか」
加代子は車の絵柄が入ったブルーの色の紙おむつパックを手にして良夫を見せた。良夫はそれを、ちらっ、とは見たものの、やはり赤いパックの女の子用の紙おむつをじっとみている。
「よっちゃんは、男の子でしょ」
「そうだけど」
「これならサイズもいいと思うわ。これなら買ってあげるけど」
「仕方ないね。わかった。それにしましょ」
加代子は買った紙おむつを乳母車の荷台に入れると良夫と一緒に家路を急いだ。良夫用の紙おむつを買ったところを誰にも見られたくなかった。足早に家に着くと良夫はすぐにせがんできた。
「ママ、おむつして」
「仕方ないわね」
その言葉を聞くや否や、良夫はズボンを脱ぐ、パンツも脱ぐと床に寝そべった。加代子はさっきまで起きていた美奈をベビーベッドに寝かせると美奈はぐっすりと寝てしまったようだ。
加代子は買ってきた紙おむつを広げると良夫にこの上に横になるように言った。良夫は素直な返事をすると加代子の方に歩いてきて、おむつの上にお尻を乗せて横たわった。
加代子は何も言わずに良夫におむつを当てるとズボンを穿かせた。良夫も何も言わない。だが、物心がついてからのおむつを当ててもらう感覚をかみ締めてでもいるように彷彿として天井を見つめている。加代子は二人とも何も話さないことに違和感を感じ、良夫にやさしくしてあげようと考えた。それは丁度、良夫が生まれたときに良夫にばかりかまっていると夫の和也が寂しそうにしているのと同じだった。そのときは、初めての子育てということもあり、そういうことを考える余裕もなかったが、今の良夫の気持ちはそんな気持ちに似ているのかもしれない。その原因は美奈だ。もちろん美奈には何の責任もないが、今までは良夫にばっかりかまっていたのが、美奈にかかりっきりになっているのではないかと思うからだ。今までやさしかった母親が今度は美奈にかかりっきりになっている。そんなことから、母親に甘えたいのかもしれない。良夫はそんなことは考えていないと思うが、加代子はそう思うと良夫にやさしくしてあげた。
「よっちゃん、おむつはどうかな」
「ん、まあまあだよ」
「よっちゃん、ミルクか、おっぱいも飲もうか」
「ミナにあげるときに一緒でいいよ」
やさしくしようとすると良夫は照れくさいのか、また、ガンダムの人形で一人遊びを始める。
「よっちゃんはおむつを当てた赤ちゃんに戻ったから、ミルクも飲ましてあげるよ」
「後でいいよ」
「そう?」
「ママ、それより、パパにもおむつを当てようよ」
「ええ!どうして」
いつのまにか加代子にも良夫の言う「どうして」という言葉が乗り移っていた。自分がおむつを当ててもらうと今度は父親にも当てようと言う。自分だけがあてて欲しかったのではないのだろうか。
「パパはオトイレにいけるから要らないわよ」
「そんなのずるいよ。ママもおむつを当てているし、おじいちゃんも当てていたし」
「それは違うのよ」
「違うことないよ。パパだけだよ。おむつを当てていないの。だからパパにもおむつを当てるの。ね、ママ」
そう言われても加代子は困ってしまう。良夫におむつを当ててあげてそれでしばらく様子をみればじきに飽きるだろうと思っていたのが、今度は夫に的が行ったようだ。加代子は自分が小さなおむつと思われているナプキンのことになると急に良夫とは話したくなくなる。
「よっちゃん、そのお話はパパが帰ってきたら自分で言いなさい」
「はーい」
 

 
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