交換条件
(ねえ、どうしておむつを当ててはいけないの)


芥川 秀一

「よっちゃん、お風呂入ろうか」
「はーい」
「美奈ちゃんが先よ、その後ね」
「はーい」
和也はその会話を聞くと、美奈のベッドの方へ行き、美奈を抱き上げる。ほんのりミルクの匂いがする美奈は本当に可愛い。しかし、手にはなんとなく意識し初めている美奈のおむつの感触がある。紙おむつのため少しゴワゴワした感じがあるが、間切れもない紙おむつだ。その感触をなんとなく味わっていると、加代子の声が聞こえてくる。
「じゃ、声をかけたら連れてきて」
和也はなんとなく不安で美奈をお風呂に入れることができない。風呂の時間は加代子に先導される。
「はいよ」
加代子に返事をした後も美奈のお尻に手を当て、紙おむつの感触を確かめている。何の意識もなく、ミルクを飲み、おしっこがしたくなればその場でおむつの中に漏らしてしまう赤ん坊の美奈を見ていると、羨ましいような気分になってくるから不思議だ。毎日の会社でのストレスに加え、良夫のおむつ病とも言える最近の行動や言葉は余計にそんな気分に拍車をかける。しかし、無邪気な美奈の顔を見ているとどんなものにも替えがたい微笑ましい気持ちになってくる。
「俺もおまえのようになってみたい」
言葉にこそ出せないものの、和也の気持ちはそんな気持ちで一杯だった。そんな気分を壊すように加代子の声が聞こえてくる。
「あなた、連れてきて」
「はいよ」
和也は美奈の服を脱がし、おむつを取ると風呂場の中に居る裸の加代子に美奈を手渡す。和也は洗濯物を片付けると美奈の風呂上りの服を用意する。新しい紙おむつと洗濯された服を床に並べる。しみじみと紙おむつを見ながら、その感触を確かめていた。それは今までにはない気持ちだった。しかし、横目で良夫がそんな和也の姿を見ているのに気づくと和也は何もなかったように振舞う。
「良夫、今度はパパと一緒にお風呂入ろうな」
「こんどね」
良夫の言い方は大人ぶっていて、その答え方は、やだよ、と言っているに等しい。良夫に嫌われてしまったという敗北感に包まれて和也はますますナーバスな気分になってしまっていた。ほどなくすると風呂場からまた、加代子の声がする。美奈が出る合図の声だ。
バスタオルを胸に広げ、風呂場で美奈を受け取る。
「気持ちよかったね、美奈」
和也はほんのり石鹸の匂いのする美奈を丁寧に拭き、横たわらせる。紙おむつを当てるのも良夫で練習したので、慣れた手つきになっていた。良夫は美奈と入れ替わりにすぐに風呂に入ったようだ。幼稚園で習った歌声が聞こえてくると幼い子供なのに、和也に対しては少し大人ぶって冷たい言葉をかける。和也は良夫に対する態度に反省をする気持ちになっていた。もう少し良夫のことも考えてやらなければいけないか。
美奈に服を着させてベッドに横にさせ、しばらくすると良夫も加代子も風呂から上がったようだ。いつもなら、和也のところに来て服を着させてあげるのだが、今日はなかなか来ない。
「あら、良夫は」
「いや、まだ来ないよ」
「ママ、これ、落ちちゃうよ」
良夫はバスタオルを褌のように股に回してこちらに歩いてくる。両手でバスタオルを抑えていて、良夫は祖父の褌の真似をしているのかもしれない。
「良夫、それは、バスタオルで褌じゃないのよ」
「ママ、おじいちゃんはいつもこうして落ちなかったのに、どうして落ちちゃうの」
 「良夫、それはバスタオルでしょ。褌じゃないのよ」
「ママ、これは布おむつだよ。紙おむつよりごわごわしなくていいよ」
「それはバスタオルよ、本当にこの子ったら。布おむつの場合にはおむつカバーをしないとだめなのよ」
「おむつカバー?」
「そう、パンツみたいで布おむつが落ちないようにするためのカバーよ。でもカバーは無いから、もう止めなさい」
良夫はバスタオルを股に回しただけで布おむつのようにしたかったらしい。しかし、それは手を離せばすぐに下に落ちてしまう。今さらながら亡くなった祖父の褌姿の影響力が大きいと思う。
「そうだ、いいことがある」
良夫はそう言うと、自分の部屋に戻っていった。加代子も和也も突然のことにびっくりしていた。紙おむつで十分と思っていたのが、祖父の褌を真似て布おむつと言っていたからだ。良夫のどこまでも続くおむつ病とも言える言動に加代子も和也も言葉が出ない。
「ママ、どう、おむつカバーになったよ」
良夫はバスタオルを股にしたまま、その上からパンツを穿いてきた。バスタオルで十分に膨らんだお尻やお腹をパンツが十分に包んでいた。おむつカバーとの違いと言えば、パンツの中には、ビニールやゴムがないため、おもらしをしたらパンツもびしょびしょになってしまうことだろう。しかし、おもらしをしないうちは、パンツは十分におむつカバーの役目を果たしていた。バスタオルが落ちることもなく、良夫の体にくっ付いている。しかし、バスタオルのため、少し厚いおむつになって良夫が歩く度にバスタオルはプリプリと左右に動いてしまう。
「良夫、いい加減にしなさい」
「今度は布おむつを当てて見たかったんだ。パパは紙がいい、布がいい?」
「まだ、そんなことを言っている」
「パパ、よっちゃンはスカート穿くから。男の子だけどスカート穿くからおむつ当てていいでしょ。そしてパパもおむつしよう」
和也は半分あきれ果てて、黙ってしまう。良夫にはまた和也が怒っていることが分かる。分かっているが、どうして怒っているのかが分からない。子供心にもこれ以上パパと話すとパパはもっと怒ってしまうことが予想できた。
「さあ、よっちゃん、頭を良く拭いて、今日は何の絵本を読んであげようかな」
「今日はね」
良夫と加代子はそんなことを話しながら、良夫の寝室へ行った。このところ、寝る前には加代子が絵本を読んで上げるのが日課になっていた。夜の9時も過ぎると最初は聞きながらおしゃべりしているが、しばらくして寝てしまう良夫だった。
「良夫は寝たわ。バスタオルのおむつとおむつカバーにしたパンツはそのままで、どうしても外さないの。困ったもんだわ」
「良夫におむつを止めさせるためにスカートを穿けと言ったけど、効果あるよな、加代子」
「さ、どうかな」
「どうして、幼稚園のお遊戯会でも泣いて抵抗したじゃない。こんな女の子みたいな洋服着るのはやだって。ましてや、女の子が着るスカートなんか、あいつは穿かないよ。それでおむつも止めさせる。どうこの考え」
「あなた、少し、良夫のいいようにやらせて上げなさい。少ししたら飽きるわよ。幼稚園生でも確かにおむつしている子もいるし、少しの我慢よ」
「いいや、良夫はスカートを前にしてまた、泣くよ。だから、そのときにおむつも止めさせる」
「あなた、そう良夫をいじめないで」
「いじめているつもりはないよ。良夫のためにと思っている」
「じゃ、あなたの言う通り、良夫がスカートを穿いたらどうするの」
「どうするって?」
「良夫の言うとおり、あなたもおむつを当てるっていうことよ」
「良夫がスカート穿くわけないだろ」
「じゃ、穿いたら、あなたもにもおむつを当ててあげるわね」
「そんな」
「美奈も良夫もあなたも、2人も3人も同じよ。あなたにもおむつを当ててあげるわね。良夫の言う通りにしてあげましょう。なんでもかんでもダメっていうのは、よくないわ」
和也は加代子の良夫に対するやさしい気持ちがしみじみとわかってきた。逆に自分はなんて良夫のことを考えていなかったのかと反省してしまう。良夫にスカートを穿けって言ったのは、ものの弾みだったが、そのお返しに自分もおむつを当てるということが、まさか、の先に少しぼやけながらそんな風景が見えてきた。和也は少し武者震いをすると、セキ払いをして誤魔化す。
「あなた、本当に良夫がスカートを穿いたら、あなたもおむつを当てるのよ。わかった」
「わかったよ。良夫がスカート穿くわけ無いだろ」
「本当ね。約束よ。子供のことをよく考えてね。うそをつくのが一番よくないのよ。良夫を理解してやさしくしてあげないとお風呂にも一緒に入ってもらえないのよ。わかった、あなた」
「ああ、わかったよ」
 

 
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