強い意志
(ねえ、どうしておむつを当ててはいけないの)


芥川 秀一

土曜日の朝、和也はいつもと同じような時間に起きた。今それほど仕事が忙しくなく疲れも溜まっていないのかもしれない。むしろ良夫のおむつのことで自分にもおむつが当てられてしまうかもしれないという、気持ちの高ぶりから目覚めてしまったのかもしれない。いつもの土曜日ならもうすこしゆっくり寝ているのだが、しかし、なぜか目が冴えてしまう。和也はいつものようにごみを出すのに忙しくしている加代子を見ながら新聞を読み始めた。そこへ良夫が起きてきた。
「パパ、おはよう」
和也はなにか良夫と会話するのが億劫になっていた。何も返事をしないとそこへごみを外は出してきた加代子が戻ってきた。
「よっちゃん、おはよう」
「ママ、おはよう。パパはおはよう、って言わないよ」
「あなた」
「おはよ」
仕方なく、心がこもっていない和也の言い方に加代子は和也もなんとかしなければと思う。もちろん、原因は良夫のおむつのことが原因だが、和也は良夫を理解しようともせずに頭ごなしに叱ってしまったり、命令したりする。子供の教育にはよくない。和也も最近は一緒に風呂に入ってくれないことや、なんとなく、和也と話すときの良夫のぎごちなさがあることからなんとかしなくてはという気持ちもある。
「さ、今日は皆お休みだし、ゆっくり朝ご飯を食べましょう」
「はーい」
「今日はトーストとハムエッグにしようか、よっちゃん」
いつもは2人分のお弁当を作り、朝もご飯なのだが、週末は簡単にできるトーストになる。和也はご飯が好きだが、週に1回くらいはパンも美味しいと思う。
「トーストなら、レギュラーコーヒーが飲みたいな、加代子」
「はい、じゃ、パンをオーブンに入れて、コーヒーをコーヒーメーカに入れて、と」
加代子は皆が揃い、ゆっくり朝食を食べることに満足している。週末は、のんびりとしていたい。良夫は自分で牛乳を冷蔵庫から出すと自分でコップに注いでいる。
「いただきましょう」
「いただきます」
和也は何も言わず、新聞を置くと煎れ立てのコーヒーを一口啜る。温かい茶色の液体が喉を通ると、目がさめる感じだ。
「ママ、朝ご飯を食べたらスーパに行こう」
「いいわよ」
「それで、よっちゃんのスカートとパパのおむつを買おうね」
和也はそれを聞くと、美味しく食べていた朝食が喉につまりそうになる。良夫はスカートを穿くわけないと思っていたが、あまりにも簡単にスカートを穿く雰囲気を感じた。
「よっちゃん、本当に女の子用のスカートを穿くの?」
「本当は絶対にいやだけど。だけど、おむつしたいし、それにパパがスカート穿きなさい、って言うし、それに、ゴリコもペコラのDVDでスカート穿いているよ。ゴリコも男の人でしょ。それに笑っていいともでも男の人がスカート穿いてお化粧もしているもん」
「そうね、女の子はきれいだから皆憧れるのかしらね」
和也は黙って聞いていたが、自分もおむつをしなければいけなくなりそうな雰囲気に動揺してしまう。こういう会話にも良夫とゆとりを持って話さなければいけないと思いつつも、良夫のペースで物事が進んでいることに不甲斐無いと思う。
「パパ、よっちゃんがスカートを穿いたら、パパもおむつだね」
和也は返答することができない。加代子も和也の姿を見守っていたが、ここは良夫との約束は果たしてあげなくてはいけない。同時に最近大人気ない和也の態度も変わって欲しいと思う。返事もしないし、何も話さない和也を気遣ってあげなければいけない。
「さ、一休みしたら買い物に行きましょ」
「はーい」
良夫は機嫌よく、返事をしてテーブルから離れ、テレビを付けた。土曜日の朝は決まって9時半はおきまりのアニメを見ている。
「あなた、10時の開店と同時に行きましょう。良夫のスカートとあなたのお・む・つ」
「加代子、おまえまで、なんだ」
和也の機嫌がいいわけが無い。しかし、ここで止めてしまっては良夫の気持ちは台無しだし、和也にも反省してほしい良いきっかけなので、加代子は和也にもおむつを当ててあげようと思っている。
「約束ですからね。あなた」
「良夫のスカートを買うところを近所に人に見られたらいやだよ」
「それにあなたのおむつも。だから、そうね、それは賛成。じゃ車でEマートまで行きましょう。あなた、約束は守ってくださいよ」
和也は返事をしない。加代子は素直にならない和也に反省してほしいこともあり、少し迷っていたが、和也のおむつも買うことに決めた。良夫はあの調子ならスカートも穿くでしょう。そうすれば良夫のおむつ替えも楽になるし。そして和也にもおむつを当てて、赤ん坊のようにして少し反省してもらおう。加代子はもう迷うことなく良夫のスカートと和也用の大人用に紙おむつを買うことを決めた。後はもうしばらくしたら和也に車を運転してもらってEマートに行くだけだ。
「ママ、終わったよ」
「そう、今日は面白かった?」
「うん、ドラモンがね、スカート穿いてるの」
「へー、ドラモンは男の子でしょ?」
「さあ、どっちかな。いつもズボンを穿いているわけじゃないし」
「そうだね。テレビ局に質問してみようか」
「うんうん、ママ、そうして」
「そうしましょ。そして、よっちゃンのスカート買うのね」
「そうだよ、早く行こう。それとパパのおむつもだよ」
和也はその会話を聞きながらどうしたものか、気が引けてしまう。良夫はこの雰囲気だとスカートを穿く気になっているようだ。加代子まで和也のおむつを買う気になっている。そんな気乗りしないのに運転だけするのか。全く憂鬱になる。
「あなた、行きましょう」
和也は、いつもの加代子の声を自然に聞けることができる。しかし、その中には、何かを感じるのだ。「あなたにもおむつを当ててあげる」、そんなことを心に誓って和也に話かけているような気がしてならない。加代子は車を運転できないので、和也に臍を曲げてしまっては元も子もない。加代子はいつものように、何も考えていないように振る舞いながら和也に運転の催促をする。
「今日は、ゆっくりして、お昼は外食にしましょうか」
和也を誘い込むようにいつものように話し掛ける。
「そうだな」
加代子は心の中で、「やった」と思いながら平静を装って出かける準備をしていく。
「よっちゃん、さ、行くわよ」
「はーい」
いつものようにEマートの無料駐車場に車を入れ、エレベータで子供服売り場に行く。良夫も加代子もいつものように手を繋ぎ、和也の前を歩いていく。ついこの前までは、良夫の手を引きながらいつも男同士と思って歩いていたのが、最近は本当に良夫は冷たくなってしまっている。和也は良夫に接する態度にやはり間違いがあったのかと反省してしまう。
「よっちゃん、この赤いスカートはどう?」
「うん、ママがよければいいよ」
「そう、でもこれもいいしね。美奈ちゃんが大きくなったら着ることができるから、これにしようか」
加代子は、男の子の良夫にスカートなど買いたくないが、美奈も大きくなれば着ることができると思うとスカートだけじゃなくて、あれもこれもと品定めしてしまう。赤いスカートならば、上着には、ピンクのT−シャツ、それに同じくピンクのハイソックス、と女児らしい洋服を見ていた。和也はそんな光景を見て、良夫は本当にスカートを穿くのだろうか、穿くのかな、と自分が変なとんでもない約束を加代子としたことを後悔する。が、しかしもう遅い。加代子と良夫は赤やピンクの衣服を手に持ってレジで精算している。
「本当に買ったのか」
「そうよ、次はあなたのね」
加代子はそう言うと、美奈を和也から受け取った。買い物の間、美奈を抱っこして加代子は良夫用の女児服選びをしていた。加代子はまた、良夫と連れ立ってすたすたと歩き始める。和也もその後をゆっくり気乗りしないで追いかけていく。加代子達は、おむつ売り場に向かっていた。それに気づいた和也はそこで歩くのを止めて立っている。それに気づいた加代子は後ろを振り向くと美奈をまた和也に預ける。
「選んでくるわ」
何を選ぶのか、誰のために選ぶのか、何も言わないまま、加代子はおむつ売り場の中に入っていく。赤ちゃん用の紙おむつに始まり、男児女児用、そして介護用の大人用までいろいろな種類の紙おむつが並んでいる。和也は、初めて良夫用の紙おむつを買いに来たときに一通り見た記憶があるので、想像できる。加代子と良夫は端から端まで歩いて見ていたが、その中のひとつを手にとってレジに向かった。
和也はこれからどうなるのか、本当に加代子は和也のためにおむつを買ったのか、いや、良夫がまた、追加で紙おむつを買わせたのだろう、そう考えるしか落ち着く方法は無かった。レジから出てきた二人は大きな袋を持っていた。その中身は紙おむつに違いないが、中が見えないようなビニール袋に入っている。和也はあえて聞くことはできなかった。和也用の紙おむつよ、と言われるのが怖かった、と同時にわくわくもする変な気持ちに和也は平然と装うしかなかった。
「帰りましょうか?」
「外食は?」
「まだ、11時ですもの。外食は止めにして家で何か食べましょう」
外食を期待してEマートまで車で来たが、期待外れになってしまった。といってもEマートでは、外食というほどのレストランも無い。そして懐も温かくない。和也は加代子の後を追いかけながら駐車場へと向かった。
お昼前には自宅に帰ってきた。良夫は玄関を入ると買ってきた袋を開けて、女の子用の服を見ていた。良夫は本当はいやだが、我慢してこれを着ようと自分に言い聞かせているのだった。
「良夫、その服は美奈のためにして無理して着なくてもいいんだよ」
和也は良夫にやさしく話し掛けたつもりだが、良夫の意思はもう変わる余地はなかった。良夫は結構恥ずかしがり屋のほうだが、一度決めたことに対する意思はすごく強い。
「大丈夫だよ。女の子の洋服と言っても半ズボンのここが切れているだけでしょ。同じだよ」
良夫はそう言いながら、自分の穿いている半ズボンの股を指差している。確かに半ズボンの股のところが切れればスカートになってしまう。
「どうしたの、そんなところを指さして」
「ママ、お着替えしてください。女の子の洋服なんてどう着たらいいのか分からないから」
「はいはい、じゃ、まず着ているものは脱げるかな?」
良夫はその言葉を聞くなり、一気に素っ裸になった。そして自分の部屋へ行くと紙おむつをひとつ手に持って加代子のところに戻ってきた。加代子は良夫の行動を理解していた。床に寝転んだ良夫の両足を手に持って上に上げると良夫のお尻の下に開いた紙おむつを押し込む。股から通してマジックテープを横から貼り付けていく。加代子は買ってきたばかりのピンクのティーシャツを着せると、今度はスカートを手に持って良夫が足を入れるのを待っている。良夫は半ズボンを穿くのと同じようにスカートを穿くと、加代子は腰のところでホックを留めてあげる。そして白いソックスを穿かせてあげると本当に女の子ようだ。幼稚園位の子供にはまだ、あまり男らしさも女らしさもあまり無い。髪の形を除けば着ている服で男の子か女の子の判断できる位である。良夫が穿いた赤いスカートはプリッツスカートだ。膝上5cm位で本当に似合っている。良夫はスカートを自分で捲くると納得したように話した。
「なるほどね。これならおむつの交換も簡単だね、ママ」
「そうね、よく似合っているわよ」
「パパ、次はパパだよ」
 

 
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