別れ
 
メアリーは和夫に週替わりのおむつを当てて、お漏らしこそできていないが、素直におむつを当てて会社に通った和夫に少しは安心した。だが、浮気の罰は最初の一歩に過ぎない。メアリーはやはり日本にいるならと日本式のおむつ和夫を当てることにした。会社でトイレに行くときは面倒だろうと思いつつもちゃんとおむつを当てたまま忠実に帰宅する和夫をかわいいと思った。
週末の金曜日、和夫はいつになく定時で帰宅する。おむつを当てたままの通勤にももう慣れてきていた。周りの目を気にするが、ちょっとメタボになった青年と思われるだけと思いこむことにした。そんな慣れから和夫は美奈子との思い出のゲームセンターを覗いて見ることにした。美奈子とは居酒屋で飲んだ後よく、クレーンゲームをして遊んだものだった。お気に入りの大きなヌイグルミをクレーンでキャッチすると美奈子は子供のようにはしゃいだものだった。ゲームセンターのゲーム機の入れ替わりは激しい。すぐに新しいゲームに入れ替わってしまうが、人気のあるゲームは結構行列ができている。
そんなゲームセンターを覗いて歩いていると、人気の少ないエリアで古いクレーンキャッチャを必死に操作している女性ががいた。
「美奈子」
和夫は思わず小さな声を出したが、周囲のゲーム音はそんな小さな声をかき消してしまう。和夫はそのクレーンキャッチャの反対側に回り、女性の顔を正面から見てみる。間違いない美奈子だ。しかも美奈子1人ではないか。
和夫は決心して美奈子の左隣に移動すると、そうだ、そこでキャッチだ、と思わず言ってしまう。美奈子はその男性が誰かは考えずにその声にしたがってクレーンを操作する。「ナイスキャッチ」、和夫が美奈子の顔を見る。
「和夫さん、どうしてここに」
「美奈子こそ、どうしてここに居るんだ」
二人は見つめあうと、お互いにうなづく。美奈子にもいろいろ事情があるのだろう。そして和夫も週末の金曜日の夜に1人でゲームセンターに居ることに事情があるだろう。和夫は美奈子の手を取るとゲームセンターを後にする。
 
喫茶ひいらぎは、有名な店だ。若者ではなく、中高年以上によく利用される老舗だ。ときにはお見合いをしている風景も珍しくない。和夫は美奈子をひいらぎに誘うと、奥のソファに誘う。この時間対は閉店近いこともあり、店全体にお客の数はまばらだ。
「美奈子、元気だったか。その田舎に帰って、そのお見合いとか言っていたが」
「ええ、お見合いをしたわ。いい人よ。初婚で地元では有名な企業の会社員だけど。まだ踏ん切りが付かないの。それで東京の空気を吸って気分転換に来たのよ」
「そうか、わかった、元気でよかった」
和夫はお見合いにまだ踏ん切りがついていないという言葉に安心をする。なぜ、安心なのか、自分でもよくわからないがメアリーにおむつを当てられているこの生活にうんざりしていたからだ。その反動が和夫に美奈子と元に戻りたいという気落ちが出ていたのも事実だった。だが、下半身を包んでいるおむつがそんな浮気をしてはだめ、とばかりに和夫の小股を刺激しているのも事実だった。
「和夫さんは、少し太った?メアリーさんのおいしい食事で幸せな生活を送っているのでしょうね」
「いや、太ってはいない。これは違うよ」
「違うと言われてもお腹や何かお尻の方も肉付きがよくなったみたいだけど」
和夫はおむつを当てられたいることをまだ、誰にも言っていない。いや、そんなことは言えるわけもないが、それが心が通じている美奈子にはわかってほしい、という気持ちがわいてくる。こんなおむつを当てる生活から抜け出したい、美奈子と元に戻ればおむつとさよならができる。そんな期待がどんどん沸いてくる。和夫は声にならない声で助け舟を呼びぶような気持ちで話し始めるがすぐに躊躇する、が意を決してぼそぼそと話し始める。
「おー、おーツムがずかしい」
「え、おつむ、頭がずかしい、頭が痛いの?大丈夫」
「いや、そうじゃないんだ、そのおむつ」
「おむつですか。そうか赤ちゃんのおむつ替えのことを言っているの。もう生まれたのですか?」
「いや、このお腹の膨らみのことだ」
「和夫さん、あなたががまさか、そのおむつを当てているの?」
美奈子は対面で座っていたソファから移動すると和夫の隣に座り、腰からシャツを上に上げ、和夫のスラックスの中を確認する。美奈子の手が止まり、確認すると何事もなかったようにシャツをもとに戻してあげる。美奈子は和夫の下半身を覆う布おむつを確認していた。動揺を隠せずに対面のソファに戻って座る。
「和夫さん、お腹の具合でも悪いの?何か病気になってしまったの?」
「いや、俺は健康だ」
「じゃなぜ」
和夫は後悔をしていた。だがもう後の祭りだ。後は美奈子の同情が欲しいがおむつを当てる原因になった浮気の相手の美奈子の前でおむつを見てもらうのは、逆効果だったかもしれない。案の定、美奈子は不審は顔つきをし始めた。
「メアリーはこういう趣味を持っているんだ。こんな生活はもうたくさんだ。美奈子、元に戻ろう」
美奈子は不審な顔から何かがふっきれた顔つきになった。そう、そんなことまで素直に従うよい夫なのね。美奈子は口にこそしないが、和夫への憧れの気持ちから一転して幻滅の気持ちになっていた。同時に田舎で見合いをしたあの人がいと恋しくなってくる。いくらかわいい外人の奥さんだからと言って、奥さんの言うままにおむつをして生活をするという和夫に幻滅を感じた。
「和夫さん、ごちそうさま、メアリーさんの言うとおりになれて幸せね。お幸せに」
「美奈子、違うんだ」
「好き好んで当てているわけではないんだ」
「でも奥さんの趣味なのでしょう」
和夫はおむつの引き金が美奈子との浮気であるとは、どうしても言えなかった。それを言ったら、美奈子のせいでおむつを当てている。お前のせいでおむつ生活だと言うようなものだ。メアリーの趣味という理由にしたが、どんな理由にせよ、美奈子はもう許せなかった。美奈子は奥さんのいいなりになっておむつを当てる生活をしている和夫に幻滅だった。
「ごちそうさま、奥さんと仲良く赤ちゃんごっこをして、幸せな生活を送ってください。私は田舎に帰る踏ん切りがつきました。お幸せに」
「美奈子」
美奈子は和夫の声を無視して、席を立つと出口の方へ歩いていく。ひいらぎと書かれたドアが開き、美奈子が消えるとドアはまたゆっくりと閉まっていく。同時に店内にはホタルの光の音楽が奏で始めた。和夫は仕方なく席を立つ。
 
「ただいま」
「お帰り、いつもより遅いわね」
「久しぶりにゲームセンターを覗いてきた。はい、お土産」
和夫は美奈子を手伝ってクレーンゲームでとったクマのヌイグルミを手渡した。女性はどんなものでもプレゼントには弱い。
「あの、クレーンゲーム?」
「そうさ、今度はメアリーと一緒に行こうな。今日はちょっと仕事が切りのいいところまで行ったので、ちょっと寄り道」
「ま、いいか。そう、和夫、ダディからリバプール観光をしないかって。ビートルズが好きだったでしょ。今度の夏休みは早めにとって混まない前に行きましょう」
「リ、リバプール?」
「そうよ、ビートルズ発症の地よ。和夫は行きたがっていたでしょ」
「いや、その。今年の夏休みはまだ予定がつかないんだ」
「そう、変なの」
和夫はあの浮気抑止入院の夢が思い出される。夢とは言え、はっきり覚えている。条件的にも同じだ。メアリーの伯父はリバプール郊外の精神病院の院長だ。あういう浮気抑止のクリニックが本当にあるのかどうか、よくわからないがあの夢はまさしく正夢のように思える。そしてリバプール観光のお誘いだ。ここは慎重に対処しなくてはならないと思う。
「ねえ、和夫、どうしてリバプールに行きたくないの?」
「だから仕事の関係さ」
「じゃ、いつになったらわかるの?飛行機のチケットはイギリスで買ってもらったほうが安いわ」
「だから勘弁してくれ」
和夫の異様な雰囲気を感じたメアリーはもう少しだったのにと思う。ダディからの連絡はリバプールでの病院への和夫の入院が目的だった。おむつを当てた生活は1カ月以上できていたが、お漏らしによるおむつ被れを起こさせて浮気を止めさせるという目的はまだ達成していなかったからだ。ダディとの相談の結果は、浮気抑止入院をさせることだった。そのためにビートルズが好きな和夫のリバプール観光と言えばすぐにでも入院させられると思っていた。
「和夫、ダディが久しぶりに会いたがっているわ。私も里帰りしたいしさ。丁度いいじゃない」
「仕事の関係だから仕方ないだろ」
和夫はしつこいメアリーの誘いに怒ったように答える。しかし、メアリーも負けてはいない。
「和夫、約束を果たして頂戴ね。おむつは当てているけど、お漏らしが全然できていないじゃないの」
「その約束はそうだけど。毎日おむつを当てているだけでも恥ずかしいのに。わかってくれよ」
「だめ、約束は約束。だからダディも心配しているのよ。リバプールで遊んですっきりした後はダディが診てくれるって」
「診るって」
「診察するということよ」
「何の診察だ」
「それは」
和夫はまさしくあの夢は正夢と確信をもった。ここでリバプール行きを承諾したらあの夢と同じことが現実になると思う。
和夫のあまりの怒りと抵抗の様子にメアリーは作戦を変えることにした。目的は和夫の浮気を抑止しすることだ。メアリーはダディの誘いも惜しいが当初の目的を実行することにする。
「じゃ、今、お漏らしをしてください」
「今?でも出ないよ」
「じゃ、出るようにしてあげる」
メアリーは奥の部屋へ消え、しばらくすると戻ってきた。手には2種類の錠剤を持っていた。そしてキッチンへ行くとコップ1杯の水も持ってきた。
「はい、利尿剤と下剤よ。飲んでください」
「そこまですることないだろう」
「約束を守らないでいる人はどっちなの?それともリバプールに行く?」
「やはり、リバプール行きの目的はビートルズ観光ではないんだな」
「それは知りません。ダディの招待だから。いいから早く飲みなさい」
和夫はダディからの招待がやはり精神病院への入院であると確信をもった。あの浮気抑止入院は勘弁だ。しかし、メアリーからの利尿剤と下剤も遠慮したい。だが、美奈子とも本当の別れをした後では、どっちかにするか仕方ない。リバプールまで行ってあんな入院をするよりかは、メアリーの言うとおりになったほうが安全だと思う。そう思うと和夫は2種類の錠剤を一気に飲んだ。これから数十分後には激しいと尿意と便意が来るだろう。和夫はようやくスーツから着替えていないことに気づく。寝室に向かいながら、スーツを脱ぎ棄て、普段着に着替える。気がつくとメアリーが付いてきてスーツを畳んでいる。
「今日は、あなたの好きなハンバーグよ。一緒に食べよう」
下剤を飲ましておきながら夕食を一緒に食べようと誘うのもおかしいとメアリーの態度に怒りを感じながらも首を縦に振っているだけにしているとメアリーがまた怒りだす。
「夕食を一緒に食べましょうね」
きついそのメアリ−の言い方に和夫は「喧嘩は良くない」と自分に言い聞かせるとやさしくメアリーに言う。
「今、すぐ行くよ。メアリーのハンバーグはおいしいから」
 
***
 
夕食後、しばらくすると2種類の薬は和夫のお腹を攻撃し始めた。高まってくる尿意とグルグルとなり始めたお腹の音が煩わししい。メアリーはその音には気づいているのだろうが、見知らぬ振りをして、テレビを見ている。和夫も好きなテレビ番組を楽しみたいが、尿意と便意に笑ってもいられない。
「そろそろかしら」
急にメアリーは和夫の方を振り向くと厳しい顔つきで和夫の目を見つめる。和夫の症状からはもう限界が見てとれるが和夫は必至にこらえている。和夫は冷や汗を拭きながらも必死に耐えている。
「もう、楽になりなさい。おむつの中にお漏らしをしていいから。それが約束でしょ」
そう言われてもはいそうですね、とばかりにおむつの中に漏らしはできない。もう何十年もトイレという個室空間でしてきたことをリビングのソファに座りながら、しかも妻のメアリーの目の前でしなさいと言われてもすぐにはできない。ましてや美奈子からは、さっき奥さんからおむつを当てられてそのまま、1日を過ごしているのね、ごちそうさまと言われてしまっている。確かにメアリーとはおむつの生活を約束して、お漏らしをすることの契約書までサインしているが、いざとなると美奈子のさっきの言葉が思い出されてできない。やっぱり、こんなことはしてはいけないというメアリーへの裏切り行為の思いが高ぶってくる。そんな高ぶりとお腹からの攻撃はもう限界だった。
「メアリー、やっぱりここじゃ、できない。トイレに行ってくる」
「和夫!」
メアリーの止める手が伸びたが、和夫のトイレへの移動の方が早かった。和夫は一目散にトイレに駆け込むと、鍵をかけ急いで普段着のズボンを下ろし、おむつを外すと便座に座る。座ると同時に勢いよく流れ出る液体と大きなおならの音とと共に半液体上の汚物が勢いよく拭きだされた。
「ほう、間に合った」
おしっこの液体はまだ出続けているが、その勢いがしぼんでくると少し落ち着いてきた。同時にさっきまでトイレのドアの外で自分を呼んでいたメアリーの声もなくなっていた。まだ、おかしいお腹の具合のためにしばらくは便座に座って踏ん張っていたが、もう、大丈夫とお尻をウォシュレットできれいにすると、紙で水分を拭く。また、1人でおむつを当てるとズボンを穿いてリビングへと向かう。
「和夫、ロンドンへ遊びに行こう」
メアリーの怒りと立ち向かうのを恐れていたが、予想外に機嫌のよいメアリーの声に驚きながら、落ち着いてロンドンについて考えてみる。
「ロンドンの実家への里帰りと観光でもどうですか、ってダディが誘ってくれたわ。リバプールじゃなくてロンドンならいいでしょ」
「あ、ああ、いいよ、ロンドンなら」
和夫はあの夢が現実になるのが怖くてリバプールは断っていたが、ロンドンなら問題ないだろうと思った。それからメアリーはもうおむつやお漏らしのことはキツク言わなくなっていた。和夫は夏休みのスケジュールをするとロンドンの観光名所など想像するのだった。
メアリーは和夫がトイレから出てこないことを確認するとロンドンのダディと電話をしたのだった。ダディはロンドンの総合病院にも今回新たに精神科が設立され、重症患者以外でも入院ができ、浮気抑止治療を受けられるようになったことを聞いたのだった。そのことをメアリーは当然和夫には内緒にしているのも知らずに、和夫は何の心配もせずロンドン旅行を楽しみにしていた。
 
*********
 
その夏休みのロンドン旅行。その日の夕方もロンドンは少し霧が出ていた。空港にはダディが迎えに来てくれた。外人は親と子供でもしっかりと抱擁するのが普通だ。男のダディと娘のメアリーが出口を出るなり抱擁する姿は多少なりとも焼きもちが焼かれる。その後は、何事もなかったようにメアリーの実家に着き、夕食をごちそうになり、時差ボケをなくすためにも早く就寝した。
翌朝、トーストと紅茶の朝食をゆっくりといただくと、観光の前に総合病院で見せたいものがあるとダディに言われた。一抹の不安がよぎりながらもロンドンの総合病院には精神科がないはずと思っている和夫は素直に総合病院に行く。あの夢にあったような受付での契約書へのサインもないので、安心して院長室の応接室へと入る。
「紅茶ですか?コーヒーですか?」
和夫はコーヒーの方が頭がすっきりするので、今日はコーヒーを飲んでいないこともあり、コーヒーをお願いする。雑談しながら届いたコーヒーを飲みほしてしばらくすると和夫は眠くなってきた。和夫は不安になると今日この総合病院にきた理由を聞いてみる。
「ダディ、今日、見せてくれるものといいのは何でしょうか。楽しみですね」
「お、そうだった。ちょっと待っててくれたまえ」
ダディはそう言うと応接室を出ていく。それを確認して和夫は安心もするが眠気がひどくなってくるので、メアリーに確認をしてみる。
「メアリーは何かすごく眠たい」
「いいのよ。寝て。しばらくここに居ることになるから」
「え、それどういう意味?」
「入院するのよ、和夫は」
「そんな契約書のサインはしていないからな」
「これよ」
メアリーが見せてくれたのは、日本でサインした誓約書だった。メアリーは薄笑いを浮かべる。それと同時に絶望を隠せない和夫はメアリーの肩のほうへ首を預ける。
「寝てはいけない。日本へ帰るからな。そんな入院なんて嫌だ」
和夫のその言葉に返事はせず、メアリーは和夫の体をゆっくりとソファに寝かせていく。
「浮気抑止入院よ。これで浮気病を治療しましょうね」
和夫はメアリーのその言葉に反論をしたくても薬による眠気には勝てない。メアリーはソファから立ち上がり、ナースコールのボタンを押す。
「浮気抑止入院の患者が院長室の応接室に居るわ。準備できましたので、よろしくお願いします」
和夫にはもうその言葉が耳に入らず、睡眠に落ちていた。和夫が見た正夢が現実になろうとしていた。そして浮気病との別れのための治療が近づいていた。
 
終わり
 
大人の赤ちゃん返り
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