女の子への入り口

芥川秀一

三村和也は東京の大学に受かり、3月下旬に栃木県から上京してきた。そしてそれまで東京で1人住まいの姉と二人きりの東京暮らしが始まった。高層マンションが立ち並ぶお台場にほど近い場所だ。少し潮の香りがうっすらとするが、気になるほどではない。姉は外資系に勤務していて、将来和也も東京にくることを予想してそれらの高層マンションの3LDKのマンションの一室に暮らしている。30階建のマンションの20階の一部屋だが、東京湾を臨むことができるそのマンションの居心地はいい。
近い将来、和也も東京の大学に入る予定だったし、母親が上京したときの寝室用も考え贅沢は承知の上で3LDKのマンションを購入したのだった。
入学式には母親も上京して武道館での入学式も無事終わった。授業も開始され、始まった大学生活も少し慣れてきた頃、5月病だろう。この数年の大学受験に向けたメリハリがどこかに消えてしまい淡々として生活に飽きてきた。
和也は中学から高校と少しは成績が良かった。深夜放送や音楽にも興味を持ったが、のめり込むほどではなく、当面の有名大学受験に向けて塾や予備校通いの数年だった。
合格した大学はそれなりに有名な大学だ。満足感はあったが達成感はあまり感じられなかった。合格が決まったからは床屋にも行かず髪は肩に届くくらいになっていた。入学式までには床屋に行きなさい、と何度母親に言われたかしれないが、少し自分を変えて見たかったのとアイドルや男優の髪型をまねてもみたかった。
和也は男の中では背も低く、特にスポーツもやってなかったので、華奢(きゃしゃ)
な体つきだ。ほっそりとして繊細なイメージだった。塾と予備校通いのためか、友達も少なかった。
5月の連休が終わってまた平常が帰ってきた時、事件が起きた。魔が差したのだろう。
和也にはもう一日休みがあった。それは、中学頃から高校時代にかけて瞑想はあったが、実行に移す勇気はなかった事だった。10歳年上の姉の留守になんとなく今まで溜まっていた好奇心が分別を押さえつけてしまったのだ。同居して1カ月、そろそろ姉の行動パターンが分かってきたのだ。
姉の恵子はOLとして働いているが朝出かけた後は、ほぼ忘れ物などで戻ってくることはなかった。夜もそれほど遅くはなく、和也の夕食を作ってくれていた。
そんな姉の行動パターンを知り、和也は姉が会社へ出かけた後、姉の部屋に入り、タンスを開け始めた。そして下着やミニスカートなどを物色し始めた。気に入ったかわいい下着やきれいな洋服をタンスから出して、床に並べた。和也はシャツとズボンを脱ぎ、そして下着も脱いだ。和也はシルクの真っ赤なショーツと同じ柄のブラジャーを手にとると顔に近づけまじまじと見ると匂いを嗅いだ。
「いけないことだ、だめだ、こんなことをしては」と思いつつ、そして姉が帰ってくる気配はないな、と確かめると、さらに手で下着を触り続ける。安心を確認すると和也は思う。
「一度だけだから下着を、姉さん、いいだろ。もうしないから」
和也の手は姉の下着を握りしめながら居るはずのない姉に向かって心の中でつぶやく。
姉の下着の匂いを嗅ぎ、口に押し付けて味を見る。うっすらと石鹸の匂いがする。
「あー、いい匂い」
和也は次にショーツを広げると、かがんでそのショーツに足を通そうとしたそのときだった。
居るはずのない姉の気配が後ろに感じた直後に罵声が飛んだ。
「和也、なによそれ」
突然、忘れ物で帰ってきた姉に見つかってしまった。金曜日の朝9時だった。和也はいつも昼近くまで寝ているのだが、今日は、何となく早く起きて、姉と一緒に朝食を食べ、姉が出かけるのを見送った後だった。
和也は、ショーツを床に置くと自分の大事なものを隠しておどおどしている。
姉はすごく怒ったが、10歳も年下だと、和也を男として見ていないのか、以外に怒りは少ないように見える。恵子は和也をどけると、自分の下着と洋服をタンスに片づけ忘れ物の定期入れをバッグの中に入れた。
「和也、今度、こんなことをしたら承知しないからね」
恵子は、和也を睨みつけて和也に言う。
和也は自分の下着と洋服を手にとると、丸裸のまま、自分の部屋へ走って帰った。
恵子はもう一度部屋の中を確認すると早々にマンションから出る。和也のことが心配だったが、すぐにマンションから出たかった。もちろん内心は穏やかではない。しかし、考えながら歩いていつも通り通勤せざるを得なかった。会社でも和也の好意は痴漢的行為なのか、やはり別居がいいのかなど、いろいろ考えた。そして家に帰ってきた恵子は和也とまずはじっくりと話すことにした。
「私が居ない時、いつもこんなことやってるの?痴漢じゃないの」
「今回、本当に初めてだよ」
「本当?」
「誓って本当だよ」
「でも、痴漢みたいなことは止めてよ」
「分かってる、悪かったよ」
「謝るくらいならこんなことしないでよ」
「でも、よく分からないけど、美しい物に憧れてはいけないの?」
「それは、いいとは思うけど、女性の下着は別でしょ」
「きれいなものに別もなにもないだろ」
「和也はそういうものに憧れるの?」
恵子は悩んでしまう。もしかして和也はあのテレビでも話題になった、またニューフとしてテレビのタレントでも活躍しているタレントのようなことなのか、と考える。
「和也、もしかして、和也はあの性認識性障害なの?」
「あ、性同一性障害のこと?」
「どっちでもいいけど、そういうことなの?」
「意識したことはないけど、ときどき女性のようにきれいになりたいなあって」
「そう、やっぱり性認識性障害なのね」
「よく分からないけど、ニューハーフには憧れてはいないよ。ときどき女の子に憧れるだけだよ。でも、俺は男として生きていく。でもときどきな」
「そうなの。。。」
きれいなもの、かわいい洋服を身に付けて、きれいになりたい、かわいくなりたいという憧れを否定してはいけないと恵子は思った。でもどうしたらいいのだろう。和也は痴漢的な行為はいけないという分別は持っている。痴漢行為ではないことを納得した恵子は、ある提案をしてみる。そう、弟の和也を女の子に変身させるのを手伝うことだ。しかし、身なりだけで決して体への変化はしないほうがよい。ときどき、きれいなかわいい妹の「女の子」にしてあげればいいのだからと一人で思う。
「分かったわ、和也、あなたは性認識性障害なのだから、いいわ、女の子にしてあげる」
「女の子?」
和也はどういうことなのか、よくわからない。たくさん叱られて、もう別居かと思っていたのに、意外な言葉が返ってきた。
「和也をときどき女の子にしてあげるわよ。ブラジャーを付けてショーツをはいて穿いて、かわいいワンピースを着せてあげる。もちろんお化粧もしてあげるわよ」
和也はうれしいのだが素直に喜べない。和也の部屋には最近買った「オンナノコになりたい」という本がある。見つからないように一番厚い引き出しの中の一番下に隠してある。だから、下着や化粧や洋服の基礎知識は持っていた。しかし、実践となるとなかなか踏ん切りがつかず実行はできていなかった。
「明日は土曜日で休みね。何か予定あるの?」
「特にないけど」
「大学のサークルとか何か興味のあるものはないの?彼女はできた?」
彼女いない歴18年の弟に分かりきっていることを聞いてくる。和也は彼女もいないし、東京にきてから数少ない友達とも会えずにいた。大学では顔見知りもできたが、休みに遊びにいこうかというところまでは行っていない。
「じゃ、早速明日女の子にしてあげる。いい?そうしてすこしストレスを発散させなさい。わかった?お姉ちゃんの言うこと聞いてかわいい女の子になるのよ。わかった?」
「わかったよ。でも、恥ずかしいな」
「何言ってるの。和也は私の下着を見たのよ、触ったのよ、匂いを嗅いでよ、それで身につけようとしたのよ。私のほうがよっぽど恥ずかしいわ。罰よ。お姉ちゃんの言うこと全部聞いてかわいい素直な女の子になるのよ。わかった?」
「わ、わかったよ」
「じゃ、夕食の準備をしましょう。女の子はお手伝いするのよ」
和也はいつもリビングでテレビを見ているか、自分の部屋でパソコンのネットサーフィンをしている。でも今日は、そうもいかないようだ。
和也は恵子が買ってきた物をあけて、冷蔵庫に入れるべき物を入れようとした。
「はい、まずはエプロンからよ。私は着替えて来るから。今日はカレーだから、にんじんとジャガイモを適当な大きさに切っておいて。包丁は気をつけなさいよ。無理ならやらないでね。」
それだけ言うと恵子は自分の部屋に消えた。和也はまず野菜を水で洗い、見よう見まねの包丁で切り始めた。少しくらいの料理ならやったことがあるから苦にはならない。
「和也、もういいわ、危なっかしいから私がやる。あとはお皿とスプーンを出して。そうしたら、レタスを手でちぎってサラダを作ってくれる?」
もう料理はおしまいかと思ったが、恵子は次の仕事をてきぱきと和也に指示してくる。
カレーの具が揃い火を付けると、恵子はワインを開けた。早速作ったサラダを肴に飲み始めた。和也もお酒には興味があるが、まだ未成年でほとんど飲んだことがない。
「あと2年ね。成人式まで。それまでお酒はお預けよ」
和也は特にお酒は飲みたくない。いつも冷蔵庫に作ってある麦茶を飲みながら和也も大きなお皿にいっぱいのサラダを食べ始めた。
「お姉ちゃん、本当に心配したのよ。今でも心配だけど原因がわかって、その対策も分かったからほっとしてるのよ」
「そんなに心配するほどでも」
「何、言ってるの、家に痴漢がいたら大変なことよ」
「もうやらないからもう言わないでよ」
和也は痴漢という犯罪の話を聞くと、姉のいいなりになってしまう。和也は昔から分別もあるし、正義感も強くていい人間だが、どうも真面目すぎるところもある。だから、自分の欲望を抑えてしまう。それが今回の事件の一番の原因だ。
カレーのいい匂いがしてきた。炊飯窯は炊き立てを知らせるチャイムが響かせた。恵子はカレーの支度をして和也と一緒に食べ始めた。
「和也、明日からまずは2日間、女の子になりなさい。どんな女の子になりたの?」
「そう言われてもよくわからない」
和也にはいろいろイメージがあって急にそう言われてもすぐには答えられなかった。セーラー服もいいし、かわいいミニスカート姿もいいしと思うが、華奢な体付きではあるが、やはり男としてそういう女装をするのは空想の中の世界だった。
「そう、お姉ちゃんが見立ててあげるから、心配しないで言う通りにするのよ」
「わかったよ」
痴漢事件の後の女の子への変身前の夜は、その予感だけを感じさせながら、その他には何も変わらず過ぎて行った。これから始まる女の子への変身のイメージは恵子の頭の中を駆け巡ってたが、和也は知る由もなかった。いつもと同じようにテレビを見ている和也とは対照的に恵子の目は和也を見つめながら明日からの和也の変身をイメージしていた。
実は、恵子は会社からの帰りの電車の中である決心をしていた。そう、和也を女の子にしてあげようということだ。その準備として夕飯の買い物の他に女の子用の下着を買っていた。下着を含めて洋服は女の子に変身した後に和也の好みで買えばいいと思う。でも男の恰好で女性用下着売り場を一緒に歩くのは気が引ける。最初の女の子に変身するには下着と、そう、もう着ることもない恵子のセーラー服でいいと思った。後はそのセーラー服姿で和也の好きな下着や洋服を買えばいい。頭の先から下着にセーラー服と考えて、あと足りない白いハイソックスと女学生用の大きめのローファを買った。
もう一つ、恵子はあることをした。頭の先を考えればもう一つ明日やらなければいけないことがある。それは自宅マンションの近くの美容院だ。恵子は明日の土曜日の11:00にカットの予約をした。
「すいません、明日の予約をしたいのですが」
「いらっしゃい、三村さん、何時でしょうか、いつものようにカットですね?」
「11:00は空いていますか?実は私の妹です。オカッパにしてほしいの」
「はい、大丈夫ですよ。三村さんの妹さん?」
「そう、田舎から上京してきて」
「はい大丈夫です。マッシュルームカットですね、そう、おかっぱのことです。」
恵子はおかっぱの髪型をもう何年もしていない。マッシュルームとかボブとかいうおかっぱの髪型を和也にしてあげようと思うと明日が楽しみになってきた。
 

大人の赤ちゃん返り
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